『フェルマーの最終定理』は知的な興奮を約束する

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    ある三乗数を二つの三乗数の和で表すこと、あるいは、ある四乗数を二つの四乗数の和で表すこと、および一般に、二乗よりも大きいべきの数を同じべきの二つの数の和で表すことは不可能である。私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない。

1665年、数学者フェルマーはこのような謎を残して世を去った。二乗はピタゴラスの定理で証明されているが(直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい)、これを三乗以上の方程式にすると一見シンプルなのに解がない(Xn+Yn=Zn)。

フェルマーは三乗と四乗を証明した。オイラーは五乗を証明した。さらにコンピュータにより、数百万乗までは解が存在しないことが明らかになった。だが、コンピュータはひたすら計算しているに過ぎない。無限に存在しない事を確かめるには、人が紙と鉛筆で証明するしかなかった。

サイモン・シンによる『フェルマーの最終定理』は、定理の誕生からアンドリュー・ワイルズの証明までを描いた本。

クライマックスは三度ある。

最初に興奮したのは、証明の足がかりとなった谷山=志村予想の話。谷山教授はすべての楕円方程式がモジュラー形式と一致することを予想して、31歳の若さで自殺した。後を継いだのは共同研究者だった志村教授。数学の異なる領域に橋を架けた「谷山=志村予想」は世界に衝撃を与えた。

ポアンカレ予想を証明したペレルマンしかり、インドの天才数学者ラマヌジャンしかり、数学仲間との交流をシャットダウンしたワイルズしかり。偉業は孤独から生まれるのかもしれない。

    数学とは、無知の海に浮かぶ知識の島々からなる世界である。形について研究する幾何学者たちの島もあれば、数学者たちがリスクや偶然を論じ合う確率の島もある。何十もの島のそれぞれが独自の用語体系をもっているため、島が違えば住民の話していることもさっぱりわからなくなる。幾何学と確率とではまったく別の言葉が使われているし、微積分学の俗語は、統計学の言葉しか話さない人たちにとっては意味不明なのである。谷山=志村予想は、二つの島を結んで住民たちを交流させるという素晴らしい可能性を持っていた…

次の鳥肌ポイントは、ワイルズニュートン研究所で定理を証明した瞬間。ワイルズは「モジュラー形式、楕円曲線ガロア表現」というタイトルで三回の講演を行った。一回、二回と進むうちに噂が広がり、三回目の講義で会場が人であふれかえった。「ここで終わりにしたいと思います」と告げ、ワイルズは黒板に証明を書く。300年間、多くの数学者が挑んで敗れた難問が証明された瞬間だ。

最後のクライマックスは、ワイルズが一年以上を費やして証明の修正を試みた過程。ワイルズの論文を査定人がチェックしたところ小さな欠陥が見つかった。ワイルズも最初はすぐに修正できると思っていたが、予想に反して難航を極めた。もうだめだと諦め、証明を取り下げようとした日、ワイルズは岩澤理論が応用できることに気づいた。

    袋小路に入り込んでしまったり、未解決の問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にも立たないのです。新しいアイデアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向かわなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が動いて、新しい洞察が得られるのです。

フェルマーの最終定理』は知的な興奮を約束する。ピタゴラスの定理からワイルズの証明まで、難しい公式を使わずに分かりやすく解説してくれる。日本の数学者が深く関わっていることに驚くはずだ。

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