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殺人の選択

Essay

近所のラーメン店で強盗殺人事件が発生した。連休中の売り上げ金を狙った犯行で、鈍器で殴られた従業員は一人が重傷を負い、一人が死亡した。いつもはニュースで殺人事件を知っても情報として受け流すだけだが、近所で発生すると肌で恐怖を感じる。犯人が潜んでいないか。自宅に侵入しないか。子供が狙われないか。そんなネガティヴな想像が次々と頭に浮かび、胸の奥がざわざわした。

事件発生から一週間ほど経ち、犯人が捕まった。予想していた通り、犯人は内部事情を知る元従業員だった。Facebookではパチスロの書き込みが多かったそうだ。仮に借金を抱えた末の犯行だったとして、犯人はなぜ強盗と暴力を選んだのだろう。

最初に思い当たる原因は無知だ。借金は自己破産すれば放棄できる。その後にローンが組めなくなるなどの制限はあるが、人を殺して無期懲役や死刑になるよりは合理的だ。だが、自己破産のシステムを知らなければ選択肢に入らない。頼れる親類もいないとなると精神的に追い込まれ、強盗や自殺を選んでしまうだろう。

次に原因として考えられるのは脳の病気だ。自己破産の仕組みを知っている上で強盗や暴力を選ぶなら、脳の問題かもしれない。腫瘍などによる脳の損傷は、人の行動を変える。前頭葉と側頭葉が変性すると、普段は隠している衝動が抑えられなくなる。

脳内の化学物質も行動を支配する。ドーパミンのバランスが崩れると報酬系のシステムが機能しなくなり、ギャンブル依存や薬物中毒を生む。また、ある遺伝子を持っていると犯罪率が急激に上がる。人間の半分が持っている遺伝子で、殺人犯のほとんどが該当する。それはY染色体。つまり男性の遺伝子だ。

人間には自分で選択できない行動がある。脳の病気、化学物質、遺伝子。様々な要因で行動が左右される。脳の研究が進むと人の行動原理が解明するが、裏を返すと、脳の研究の進み具合で責任能力の分解点は変わることになる。このあたりの理屈は、デイヴィッド・イーグルマンの『意識は傍観者である』を読むとよく分かる。

9月は凄惨な事件が多かった。ペルー人による無差別殺人事件、実の孫による老夫婦殺人事件、高校生による代理殺人事件。これらを脳の問題としてとらえるか倫理の問題としてとらえるか。結論を出すのは難しいが、身近で起こり得ることだから無視はできない。まず最初にするべきことは、脳の病気という選択肢を知っておくことだ。無知は新たな悲劇を生む。


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