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エリシア・クロロティカ

Essay

アメリカの東海岸に生息するこの美しいウミウシは、動物と植物の性質を合わせ持つ不思議な生物だ。幼生期に藻類を食べて葉緑体を蓄え、藻類を食べ尽くすと口を失い、その後は光合成で生きていく。藻類を食べるのは光合成の遺伝子を受け継ぐためで、その受け渡し役を担うのがレトロウイルスだ。

レトロウイルスはRNAを遺伝物質として持つウイルスの一種。RNAウイルスは単独で増殖することはできないが、逆転写酵素によってDNAに姿を変えることができる。インルエンザウイルスやエイズウイルスがその代表で、増殖を繰り返して宿主を殺すこともある。

人間の癌の発生メカニズムはまだ解明されていないが、ウイルスを原因とする説がある。生物の細胞は日々死んでは生まれる。その過程で新しい細胞に遺伝情報が伝わるが、情報に誤りがあると癌が発生する。そのエラーの発生源がレトロウイルスだと推測されており、胃癌やリンパ腫など癌の一部では実証されている。

驚くことに、エリシア・クロロティカのレトロウイルスも突如として破壊者になる。春が来ると体内でウイルスが急増し、あらゆる組織に充満して細胞を破壊する。生きていくのに必要だったウイルスが、あらかじめプログラムされていたかのように細胞を一気に全滅させる。

植物と生物を引き合わせ、気づくと破壊者に転じているレトロウイルス。前触れもなく発生し、気づくと身体を蝕んでいる癌細胞。最近、癌による訃報を聞くことが多いが、癌もプログラムされているのだろうか。エリシア・クロロティカの神秘に、癌の謎を解く鍵があるかもしれない。


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