スプーンが回らないコーヒーカップと彼女
彼女はいつも、カップにスプーンを入れたままコーヒーを飲んでいた。右手でカップを持ち、左手でスプーンを支えて、熱いコーヒーに息を吹きかける。雑誌や本を読んでいると左手が使えないので、スプーンがクルッと回って彼女の鼻に当たった。
僕はいつもテーブルに頬杖をついて、彼女のそんな仕草を眺めていたのだが、ある日ふと気になって聞いた。
「どうしてスプーンをソーサーに置かないの?」
彼女は答えた。
「ソーサーが汚れちゃうでしょ。それにスプーンがあるとカップが置けなくなるもの。ふちにスプーンを置いても真ん中にすべってくるし、邪魔でしょ?」
カップに入れたままのほうがよっぽど邪魔なんじゃないかと思ったが、それ以上は聞かなかった。
あれから10年ぐらい経っただろうか。ある日、港の雑貨屋でスプーン立てがついたコーヒーカップを見つけ、久しぶりに彼女を思い出した。これならスプーンは回らない。でも鼻に当たったほうが可愛いいか。僕は懐かしくなり、カップを手に取ってレジへ向かおうとしたが、映画が始まる時間だと娘に呼ばれ、諦めて店を出た。
彼女はいまどうしているんだろう。
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