村上春樹が語る文章術
村上春樹の小説『1Q84』に天吾という主人公が登場する。天吾は小説を書いているが、新人賞をとれない。文章の技術は優れているのに「何か」が足りないのだ。ある日、女子高生が『空気さなぎ』という小説で新人賞に応募してきた。文章は荒削りだが、人を惹きつける「何か」がそこにはある。編集者は天吾に『空気さなぎ』の書き直しを依頼した。
天吾が推敲する場面。
これ以上は増やせないし、これ以上は削れないという地点
次におこなうのは、その膨らんだ原稿から「なくてもいいところ」を省く作業だ。余分な贅肉を片端からふるい落としていく。削る作業は付け加える作業よりはずっと簡単だ。その作業で文章量はおおよそ七割まで減った。一種の頭脳ゲームだ。増やせるだけ増やすための時間帯が設定され、その次に削れるだけ削るための時間帯が設定される。そのような作業を交互に執拗に続けているうちに、振幅はだんだん小さくなり、文章量は自然に落ち着くべきところに落ち着く。これ以上は増やせないし、これ以上は削れないという地点に到達する。エゴが削り取られ、余分な修飾が振い落とされ、見え透いた論理が奥の部屋に引き下がる。
村上春樹『1Q84』
最初は思うままに力強く書いて、後から必要な部分を加えて、不要な部分を削る。推敲に推敲を重ねて、不可欠なポイントを探る。普遍的な技術だが、読みやすい文章を書く上で最も重要な技法だ。
前に前にと読み手を送るリズム
僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなものは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか・・・
村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』
読みにくい文章とは、途中で振り返ったり考えないと先に進めない文章だ。主な原因は、不適切な言葉の選択、主語・修飾語・述語の並び、句読点の位置にある。リズムよく、語りかけるような文章にしたい。
そして世界はメタファーだ
プロットとはほとんど関係のない寄り道、あるいはやりすぎとも思える文章的装飾、あてのない比喩、比喩のための比喩、なくもがなの能書き、あきれるほど詳細な描写、無用な長広舌、独特の屈折した言い回し、地口のたたきあい、チャンドラーの繰り出すそういうカラフルで過剰な手管に、僕は心を強く引かれてしまうのだ。
村上春樹・訳『ロング・グッドバイ』あとがき
メタファーは難しい。わざとらしいと読むに耐えないし、難しいと途中でつまずく。絶妙なバランスが必要だ。村上春樹の文章は、比喩表現すら流れるように読めるところが素晴らしい。
最後に
最近、筆圧について考える事がある。なんとなく書いた文章は、思いが読み手に伝わらない。人の興味ではなく、自分の興味と正直に向き合えば、自然と筆圧の高い記事になるはずだ。
村上春樹や『空気さなぎ』の作者が持っている「何か」は天性のものかもしれない。だが、技術を磨き思いを込める事は、私達にもできるだろう。
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