SUUMOに名古屋の記事を寄稿

Women Thinking


 SUUMOタウンに名古屋の記事を寄稿した。さほどエモーショナルではないものの、名古屋に対する思いを語ったので、ぜひリンク先を。

「飛ばされる街」名古屋に、それでも住む理由 - SUUMOタウン

 ここでは、掲載した写真について話をしたい。

 寄稿記事では上の写真をメインビジュアルにしたかったが却下された。この写真は地下鉄の矢場町駅で撮影したものだが、諸々の理由で許可が下りなかった。他にも何枚か却下されている。商業媒体は自分の思い通りにならないこともあるが、編集の方は写真の申請や文章の校正で支援してくれたので、深く感謝している。

 今回写真を15枚をセレクトしたが、撮影した時期はバラバラで、上の写真に至っては6年前まで遡る。私が写真を継続的に撮るようになったのは2年前だが、6年前も少し、一眼レフカメラを使っていた。すぐに撮らなくなってしまったが、上の写真がその時期に撮影したもので、カメラはCanon EOS Kiss X Digital。EOS Kissのデジタル初代機だ。

 他の写真もカメラはバラバラで、フィルムカメラからコンパクトデジタルカメラまである。こうして並べてみて気づくのは、何年経ってもどんなカメラを使っても、写真が変わっていないという事実だ。カメラの仕組みを勉強すればブレない写真が撮れる。高価なカメラを買えば解像度は高くなる。だが、肝心の感性はなかなか進歩しない。

 では、どうすれば写真が良くなるのか。おそらく、カメラの機材に投資するよりも、写真集に投資したほうがいい。好みの写真集を探す過程で多くの作品を目にするし、感動することでアイデアの原石が生まれる。SNSでも写真を見ることはできるが、私の場合、感動よりも嫉妬が勝り、雑念ばかり積もってしまう。

 写真集もSNSも、写真を見るという行為は同じなのに、なぜ印象が違うのだろう。理由はおそらく、デジタル写真の即時性にある。音楽や小説と違って、デジタルの写真は撮影からアップロードまであっという間だ。舞台裏では手間がかかっていても、見る側はそれに気づかず、一瞬で消費する。好みの写真でも、上辺しか見ないから嫉妬する。

 その点、物質としての写真集は、その手間を肌で感じる。構想、ロケハン、撮影、レタッチ、プリント、セレクト、製本、出版、流通、購入。見る側は、写真を一枚一枚めくり、作者の意志を感じる。そうして無意識に、尊敬の念を抱くのではないか。だから嫉妬より感動が勝るのだろう。もちろん、その写真が好みだった場合の話だが。

 SUUMOの寄稿は、主に写真が認められて依頼が入った。先日の世田谷ベース掲載といい、少しずつ動き始めている。だが、私の写真は派手さがないので、この先も大きな変化はないはずだ。今はただ、Impressionのジャンルを撮り続けて、何かの形にできればいいと思っている。もし躍進があるとしたら、その過程で生まれる副産物のようなものだろう。