萌えぬなら 燃やしてみせよう 紙媒体

焚書

焚書。中学か高校の歴史で習った。思想や学問を排除するために関連する書籍を燃やす行為。古くは紀元前213年、秦の始皇帝の時代。まだ紙は発明されていない遠い昔。始皇帝の政策で木や竹に書かれた他国の歴史などが燃やされた。現代ではナチス・ドイツカール・マルクスなどの思想書を燃やしている。日本では第二次世界後、GHQによって武士道などの書物が燃やされた。それから数年後、悪書追放運動の流れの中、あの手塚治の漫画も燃やされた。戦争を肯定したからだ。

昨日、遠藤諭さんの記事「http://blogmag.ascii.jp/tokyocurrydiary/2010/04/ipad.html」を読んだ。論旨は「Appleは紙の終焉を見るためにiPadを生んだのではないか」というものだ。ちょっとした感想をTwitterでご本人に伝えたところReplyが帰ってきた。「そういうとき人間は萌えて想像以上に凄いものを創ると思いませんか?」。これが今回の記事タイトルの由来だ。

電子書籍

電子書籍の分野において日本は米国の1年後を追っている印象がある。ソニー電子書籍リーダー「Reader Pocket Edition」を米国で発売しているが、日本では未発売だ。「Kindle」も日本での発売は秋の予定。そして4月末の「iPad」発売により、ゆっくりとではあるが、日本の電子書籍は夜明けを向かえようとしている。

日本では2010年2月、満を持して講談社小学館など大手出版社21社が参加する「一般社団法人日本電子書籍出版社協会」が発足した。いや、「満を持する」という表現は不適切か。弓を引いて獲物を待っていた訳ではないだろう。米国でのKindle普及を傍観し、iPadが日本で発売されるという噂を耳にして、ようやく弓を探し始めたのではないだろうか。

日本の出版社が電子書籍の普及に対して腰が重いのには理由がありそうだ。私は以前、書籍や音楽CDに関連する仕事をしていたのだが、当時から出版社とレコード会社の違いに疑問を感じていた。出版社は書籍の在庫リスクを負っている。日販や東販などの卸売業者を通し、小売店に書籍を販売した後、売れ残った在庫を引き取っている。つまり出版社は販売のリスクも負っている事になる。卸売業者がいなければ全国にある小売店に書籍を効率よく運搬する事ができず、小売店がなければ全国の広大な売り場を利用して多くの書籍を売る事ができない。今ではAmazonなどの売り場を必要としない販売モデルも成り立っているが、出版社にとっては旧態依然とした販売方法も捨てる事ができないだろう。

出版社は逡巡しているのではないか。従来の売り場による販売と、将来の電子データによる販売。両者をバランスよく成立させるための方針を決めあぐねているのではないだろうか。それは消費者にも責任があるように思う。「インターネットのコンテンツは無料」という常識があるからだ。企業のサイトや個人のブログは、物質ではなく情報というデータを扱う場合、主な収入源は広告だ。消費者は電子データの文字コンテンツにお金を出す習慣がない。人気がある著者の作品なら電子データでも売れる。新人の作家はそうはいかない。だからKindleの市場でも無料の書籍がランキングの上位を占めている。出版社はそれにより作家の次回作が売れる事に期待している。

図書館

1954年、「図書館の自由に関する宣言」が図書館員によって打ち出された。戦前に都合のよい思想書だけを並べた図書館を反省して生まれた基本精神だ。これを題材にしたアニメが「図書館戦争」。2008年に放送された原作:有川浩、監督:浜名孝行のアニメで、時代設定は2019年。人権侵害にあたる表現を取り締まる法律が存在しており、武力行使さえ許されている。その検閲から本を守るために「図書館隊」という組織が対抗するというのが物語の構図だ。綺麗な絵の女性が登場する。

実社会でも図書館を巡る問題は多い。記憶に新しいところでは、2001年に船橋市西図書館が特定の書籍、主に「新しい歴史教科書をつくる会」の著書を廃棄して問題となっている。2006年には、東京都の石原都知事毎日新聞の記者から司書の採用が少ない事を指摘され、「今の時代に人間を配置しなくたって、オートマティックに本を借りられりゃいいじゃないですか。」と答えて大問題となっている。

共存

電子書籍と紙の書籍はそれぞれ利点と欠点がある。だからこそ共存すべきだ。

電子書籍は物理的なスペースを必要とせず流通コストも抑えられる。その反面、スクリーンショットによる違法コピーが蔓延するリスクもある。現にブログなどを通してiPad電子書籍スクリーンショットで見ているはずだ。紙の本はページをめくる「感覚」がある。iPadはアニメーションと音でページをめくる感覚を擬似的に表現しているが、紙の本にある厚みは感じられない。雑誌や書籍などには「ページの記憶」というものが存在している。ページを指でめくる事により、何ページ目にどんな情報があったか無意識に記憶しているのだ。

今回の記事タイトルでは「紙を燃やす」という、本を冒涜するような表現をしたが、私は決して紙の本を根絶しようとは思っていない。書籍関連の仕事をしていたのは本が好きだからだ。先にも述べたが紙の本と電子書籍は共存すべきだ。ただ、電子書籍への反応が鈍いようにみえる日本の出版社にもどかしさを感じている。なぜ日本は電子書籍という媒体に萌えないのか。リアルな図書舘が燃えて、アニメの図書館戦争に萌える。それぐらいのインパクトがないと日本の電子書籍は花開かないのではないか。

最後に

これを書いている途中に遠藤さんから感動的なReplyが届いた。「すいません「萌えて」->「燃えて」の誤植でした(笑)

遠藤さんありがとうございます。


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