批評家と芸術家
怪盗は鮮やかな手口で獲物を華麗に盗み出す芸術家だが、探偵はその跡を見て難癖を付ける批評家に過ぎない。
怪盗キッド
批評家は芸術家になれないのか。
私はiPhoneアプリのレビューを書いている。開発者やデザイナーと違って、何か物を作っている訳ではないが、それについて引け目を感じた事はない。
人にはそれぞれ適した分野があり、私はプログラムを書いたり絵を描く事はできないが、文章を書く事はできる。普通の人なら誰でも書ける文章だ。
柄谷行人、吉本隆明、蓮實重彦 、浅田彰。彼らは哲学者であったり数学者であったりするが、同時に批評家でもある。そして創造者だ。
仕事の話をしよう。営業マンや販売員が自分の置かれた立場について文句を言う事があるが、大体において彼らにはプライドがない。
例えば車の世界。販売員がメーカーの設計者やデザイナーを妬む事がある。社会的地位、充実度、給料など、様々な側面があるだろう。
だが、情熱を持って仕事に取り組んでいる人は嫉妬しない。そのような感情が生まれたとしても、彼らにとっては取るに足らない事だ。
ブログにはメディアと日記の側面がある。メディアとして捉えている人の記事にはポリシーがある。そこには批評の精神がある。
批評は摩擦を生む。物事の是非を問えば、自ずとそこに軋轢が生じる。ただ、摩擦を恐れていては前に進めないし、メディアではなくなる。
批評と批判は違う。批判には感情がつきまとうが、批評は常に冷静だ。物事を多面的に捉える人のみ、批評を書く事ができる。
冒頭の引用は、怪盗キッドが名探偵コナンに浴びせた言葉だ。このときコナンは何も感じなかったはずだ。彼にはプライドがある。
批評も極めれば芸術となり得る。物を作る事だけが芸術ではない。ポリシーを持った記事は立派な創造だ。
ブロガーだって芸術家になれる。