数式のない数学入門書『心は孤独な数学者』
数学と折り合いがつかなくなったのはいつからだろう。二次方程式? 素因数分解? 微分積分? いや、もっとさかのぼって小学校の分数か。
例えば 1/2 + 1/4 の答えは、単純に分母と分子を足した 2/6 (1/3) ではなく、分母は掛けて、分子はそれぞれの分母と分子を掛けて足す 6/8 (3/4) になる。
この計算式を従順に覚えて、理屈を知ろうとしなかったのが、そもそもの間違いだったのかもしれない。
『心は孤独な数学者』は、数学者の藤原正彦教授による随筆。ニュートン、ハミルトン、ラマヌジャン。この三人の天才数学者は、なぜ独創的な公式を生み出す事ができたのか。著者はそれを探るために、三人の出身地を訪れる。
特にラマヌジャンの考察にページをさいている。ラマヌジャンはインドのバラモン階級の家に産まれ、イギリスのハーディ教授に見出され、擬テータ関数などの数々の公式を発見した。証明のない独特な公式で、世界を驚かせた。
著者は数学の美的感覚について語り、
純粋数学というのは、種々の学問のうちでも、最も美意識を必要とするものと思う。実社会や自然界からかけ離れているため、研究の動機、方向、対象などを決めるガイドラインが、美的感覚以外にないからである。論理的思考も、証明を組み立てる段階で必要となるが、要所では美感や調和感が主役である。この感覚の乏しい人は、いくら頭がよくとも数学者には不向きである。
インドの喧騒と美しい数式とのギャップに驚く。
私には何もかもが強烈で、声にもならずただ目をみはっていた。次第に初期の衝撃が弱まると今度は、この混沌と大天才のラマヌジャンとがどうしても結びつかず、心中狼狽した。このような無秩序の巷から、あのように整然と美しい幾多の公式が生まれた、ということが想像を絶したのである。
インド数学の素養を探り、
インド人技術者の優秀さの背景には、初等教育で数学的思考や論理的思考が強調されていること、中学から学ぶサンスクリット語の構造がコンピュータ的思考に近いこと、などがあると言われている。
ラマヌジャンの本質に近づく。
日本人の釣銭勘定の速さと正確さは有名である。暗算のうまい理由の一つは、奈良時代より日本人が九九という詠唱を持っていたせいである。欧米にはこれがないから、かけ算を一つずつ別個に覚えなくてはならず、一度覚えても忘れやすい。インドでは今でも二十かける二十まで詠唱で覚えさせる学校が多い。四百通りのかけ算を覚えるということになるから、日本の八十一通りに比べ約五倍である。詠唱の威力である。
そして孤独に触れる。
ラマヌジャンのいた部屋は、玄関ホールから階段脇をくぐった先にあった。鉄格子入りの小さな窓が二つあるだけの、十畳ほどのやや陰鬱な部屋が二つ並んでいる。窓には青塗りの内扉がカーテン代わりについている。(中略)この時ふと、ラマヌジャンを悲劇の人と思った。この地上にはどこにも彼の居場所がなかったのだ。インドでは貧困に追われ、イギリス人が騒ぎ出すまで正当な評価がされず、戒律を破ってまでして訪れたイギリスでは、人にも土地にもどうしてもなじめず、ついには不治の病いにまでとりつかれた。
『心は孤独な数学者』は、数式が登場しない数学の手引き書。公式を証明する事と、天才数学者の所以を丁寧に掘り下げる事は、本質的には同じだ。
計算方法を列挙した教科書だけではなく、本書にもっと早く出会いたかった。そうすれば分数の計算式に疑問を持ち、物事の本質を見つめる事ができたかもしれない。
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